創業者である下村雅之の、生い立ちを踏まえて、創業の経緯をお伝えします。


社員20名弱の「町工場」で働く両親に、育てていただきました。

なぜ、中小企業を応援したいのか?
それは、父親と、叔父の影響が大きい。

父親は、田舎町の20名くらいのプレス工場の工員だった。叔父は、そのプレス工場の社長。
そのプレス工場は、大手メーカーの下請けの下請け。

父親は、来る日も、来る日も、そのプレス工場で、
汗と油まみれになりながら、単調な仕事を繰り返していた。
決して裕福な家庭ではなかった。

それでも、僕を大学に入れて、いい就職をさせるんだ、って、
朝から深夜まで、働きづめだった。休日なんて、ほとんどなかった。
それで、毎日毎日、工場でお金を稼ぐために、必死に働いていた。

多分、父親には夢があった。
自分の父親(僕のお爺ちゃん)のように、
事業家として成功したい、という夢が。

でも、それは言っちゃいけない、そんな環境じゃない、と考えていた(と思う)

だから、自分の事よりも、
家族を食べさせるために、
息子を大学に入れるために、
自分の人生を使おうとして・・・

実際にそれだけ、をしていたように思う。

親父が働いていた工場は、決して悪い工場じゃなかった。
むしろ、その社長の人望のあつさに、人間的魅力に、僕は憧れていた。
でも、経営状態は、常に苦しかったと思う。

もしかしたら、
従業員の給料を出すために、
従業員を雇い続けるために、
自分達の取り分を減らして、
泣けなしの利益を配布してくれていたのかもしれない。

父親は休みなく働く人だったけど、
社長とその一家の人達は、それよりももっと働いていた。

何のために?

会社を存続させるために。
従業員を雇い続けるために。

そこで僕もアルバイトをしてたから、少しは分かる。あの仕事の大変さが。
大企業に振り回され、売価ダウンを余儀無くされ、
一方で、従業員の生活を守りたい。ギリギリの経営が続いていた
おそらく、借金もたくさんあっただろう。

言葉ではなく、身体にのしかかる「資金繰り」という重み。どんなものだったのか。
いい社長が経営する工場、そして、そこで働く真面目な従業員。

でも、なかなか苦しい状況は、目立って好転することはなかった。
・・・

僕は、そんないい工場で、家族のために働く父親に対し、
アタマでは分かっていた。感謝しないとって・・・
でも、そんな父親をどこかで「軽蔑」していた。

なんでそんな仕事なのかって。
友達の親はもっとかっこいい仕事しているのに、なんで工場なのかって。

最新の家電が揃っていて、
海外旅行に行って、
大きな家に住んで…

そんな小さな目標の為に、
「自分は、ホワイトカラーになって、もっと稼ぐんだって」
思ってた。

今、少しだけ人生経験をして、思うこと。

自分は、何にも分かってなかった。
分かった風なことを言ってたけど、全く分かってなかった。

自分を夢を隠して、家族のために捧げる父親の事も、
従業員を雇い続けるために、会社を継続するために働く社長の事も。

全く分かってなかった。

今はもう、
父親の夢を応援する事も、
その会社を応援する事も、

両方ともできなくなってしまった。。。

そういえば、

小学生の頃、約束したんだった。

大きくなったら、ノーベル賞をとって、
会社が大きくなるように、
みんながもっと楽になるように、手伝うから、って。

(ノーベル賞の事も、経営の事も分かってなかったんだ。
ただ、勉強して偉くなったら、みんなをもっと楽にできるんじゃないかって考えていた)

その約束は果たせなくなった。

これは自己満足でしかないんだけど、
果たせなかった約束を、他の中小企業に対して、
同じような想いで必死に経営している会社に対して、
貢献することで、代わりにしたい

完全に自分勝手。迷惑なだけの話かもしれない。

それでも、やりたい。
なぜなら僕の原点だから。

従業員を大切にしたい経営者と、
家族を大切にしたい従業員

この両者の想いをつないで、

会社の継続的な発展と、従業員ひとりひとりの幸福に、貢献したい。

すっきりとかそういうものじゃなく、
具体的な成果を出せる、
そんなパートナーになりたい。

※長文に関わらず最後まで読んでくれた方、ありがとうございます。